花伝書

〜秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず〜 意外性もあり、感動もありというような情報を発信したいブログです。

夕凪の街 桜の国

2007-07-24 Tue 16:43:27

 「夕凪の街 桜の国」という日本映画が、7/21(土)広島で先行ロードショーをかわきりに、7/28(土)から全国でロードショー公開される。映画の内容は、原爆投下から13年が経過した広島で暮らす皆実と、半世紀後の現代を生きる皆実の姪である七波という2人の女性を描いたものだ。2つの時代で2人の女性が生き抜く姿を通じて、平和の尊さ、生きることの喜びを描いた人間ドラマである。
 皆実を演じるのは麻生久美子さん、七波を演じるのは田中麗奈さんで、その他に吉沢悠、中越典子、藤村志保、堺正章など演技の光る役者さんたちが揃っている。
 「夕凪の街 桜の国」の先行上映試写会の感想が書かれたブログをいくつか読んでみた。この映画は、原爆を落とされ被爆にあった人達の思いに則して映画が進んでいくのが特徴のようだ。被爆した人達が受けた肉体と心の深い傷を中心にすえているから、映画を見ていて本当に辛くなり、戦争はどうしても起こしてはならないという気持ちに自然となってしまうそうだ。僕は小学6年生のときに、原爆に関する写真をスライドショーで見たことがある。爆発の熱で肉体が一瞬のうちに消え、影だけがコンクリートに焼きついた写真、放射能汚染とやけどで数倍にもふくれあがりただれたケロイドの腕や足、原爆で死んだ人達の遺体を焼け野原に何十何百と集めてまとめて燃やしている写真、放射線の影響で生まれたときから片腕がない赤ちゃん、あまりのむごたらしさに絶句し、頭が真っ白になり、10秒ほどたってから涙がとめどなくあふれてきた。「夕凪の街 桜の国」を見れば、あのスライド写真をみたときのやりきれなく辛かった思いと共通する感情があふれるのだろうなと思う。あのスライド写真を見て、原爆で死ぬということは、病気や事故や災害で死ぬよりむごく、そして惨めなものだなとずっと思ってきた。亡骸を十把ひとからげでボロ布のように運ばれ、生き残った人も同じように惨めで、死を悼んでもらう余裕もないから惨めなのかなと思っていた。
 ところが惨めさのもうひとつの理由、最も重い理由を、先行上映試写会のブログを読んでわかった。そのブログでは、映画作品の中の言葉の1つを紹介している。それは以下のような言葉だ。

 「『原爆は落ちたんじゃない、落とされた』のだ。原爆を投下されたということは、誰かに『死ねばいい』と思われたということだ」。

 この映画作品内の言葉が、僕が原爆で死ぬのは惨めだと思うことの理由を表している気がする。誰かに敵意をむきだしにして意のままに葬られる。そしてざまあみろと思われる。こんなに嫌なものはない。戦争で戦う敵軍の兵士の死なら喜ぶこともあるだろう。命を賭して戦っているから相手が死ななければ自分が死ぬ逼迫した状況だ。ところが、戦場から遠く離れ市民生活を送っている一般市民が大量殺戮で一瞬のうちに命を失ったのだ。死の予感もないぐらい一瞬に死んでしまったのだ。こんな悲しいことはない。そして原爆を落としたアメリカ軍は原爆の凄まじい破壊力を実証できて喜びもしただろう。アメリカを恨むわけではないが、これほどやりきれないことは、日本の歴史上ほとんどないことだと思う。
 この映画では、被爆した皆実の平和への願いを姪である七波が受け継いでいるのだろう。僕は親や祖父母から何を受け継いでいるのだろう。親も祖父母も道徳的、精神的なことはほとんど語らない人だ。それでも、祖父に関することで心に残る思い出がある。夏休み、祖父母の家に泊まりにいったときのことだ。国語の宿題で好きなことわざを3つだか4つだか書きましょうというのがあった。僕はなかなか思い浮かばないので祖父に尋ねてみた。祖父は「実りては頭を垂れる稲穂かな」ということわざを教えてくれた。僕はどういう意味なのか分からず、尋ねると大相撲が大好きな祖父は、双葉山のように真に強い横綱は自然と謙虚になるものだと言っていた。そのときは小学校4年生だったので、強さや謙虚さと稲がどういう関係なのかわからなかった。それでも祖父が教えてくれた双葉山の強さや謙虚さには感動もしたのでそのことわざはずっと覚えていた。
 僕が奢り高ぶるのが好きでないのは、祖父が教えてくれたことわざや双葉山の話の影響かなと思う。
 映画「夕凪の街 桜の国」に興味のある人は、オフィシャルサイトや夕凪の街 桜の国オフィシャルブログを見たらいいと思う。サイトで流れる音楽はハープの音色が切なく抒情的だ。夕凪の街 桜の国オフィシャルブログでは、映画の裏話や原作についていろいろ触れていて、映画の魅力を深く知ることができると思う。

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